ドクター苫米地って一体何モノ?


脳機能学者であり、分析哲学者であり、認知心理学者。さらにはコグニティブリサーチラボという会社のCEOを勤め、全日本気功師会名誉会長、天台宗ハワイ別院国際部長という肩書きもある。ドクター苫米地のプロフィールを見た人のほとんどが、きっと同じような印象を持つのではないだろうか。
「いったいこの人は何者なんだ!?」と。
 このコーナーでは、毎回ドクター苫米地と親しい人物にご登場をいただき、「私が見るドクター苫米地の正体」について語っていただく。
 記念すべき最初の刺客(?)は、ドクター苫米地とも親交の深い、宗教学者の島田裕巳氏。オウム事件をきっかけに接点を持つようになったお2人の、出会いからの15年来のエピソードだけでなく、島田氏の専門領域である「宗教」という観点から見たドクター苫米地の活動について客観的な分析をお願いした。島田氏の考える「ドクター苫米地の正体」とはいかに?。

島田裕巳
要するに、苫米地さんは
オウムを取り込み、
“消化”してしまったんです。



 苫米地さんと初めてお会いしたのは、オウム事件のあとだから、1997〜98年ぐらいだと思います。その頃、僕はオウムの元幹部・石川公一(※1)の話を聞こうと画策したんです。石川はオウムにおけるキーパーソンのひとりだと思っていたので、彼に話を聞くことに非常に興味があったんですね。ただ、彼はなかなか表に出てこない男で、チャンスがなかった。で、あるとき知り合いのテレビ局のスタッフの発案で、当時石川が通っていた大学に直接話を聞きに行こうとなり、大学の近くの路上だか横断歩道だかで張り込みをすることになったんです。その張り込みチームに、苫米地さんもいたんです。
 僕たちのチームは僕と苫米地さんとテレビ局のスタッフの3人だけでしたが、現地には僕ら以外にもたくさん人がいて、10人近くいたんじゃないかな。その中にはジャーナリストの青山陽一郎さんもいました。ただ、そんな状況だから、張り込んでいるのを石川本人に察知されてしまって、1日目は逃げられてしまい、2日目は大学にこなかった。3日目は語学の授業に出るという情報が入ったので、われわれは教室の前に張り込んで、授業が終わるのを待っていたんです。でもその日は、石川の父親が逆に張っていて、われわれが教室から出てきた石川を追いかけようとすると、父親が仁王立ちになって阻止して、結局逃げられてしまったんです。そんな3日間を苫米地さんと一緒に過ごしました。ただ、そのときはあまり深い話はしなかったですね。
 その後、小杉ビデオの事件(※2)をきっかけに、苫米地さんとわりと頻繁に会うようになりました。99年には、オウム問題について研究会を宮崎哲弥と僕と苫米地さんで始めたんです。ちょうど彼が書いた『洗脳原論』が出たころで、よく洗脳などについての議論をしましたね。
 今振り返ると、張り込みなんてテレビ局のスタッフに任せておけばいいのに、わざわざ一緒に現場に出るくらいだから、苫米地さんも相当石川やオウムに関心があったんでしょうね。僕も苫米地さんもオウム問題ではいろいろ批判を受けた側ですけど、やはりお互いに強い関心を持っていたし、僕らの関係の原点になっていると思います。
 はじめてお会いしたとき、すでに苫米地さんが信者の脱洗脳などに関わっていることはニュースなどで知っていました。ただ、なぜ苫米地さんがオウムに関心を持ち、あのように深く関わるようになったのかは、当時も分からなかったし、今もよく分かっていません。本人にちゃんと聞いたこともないし、苫米地さんが書いたものを読んでもいまいちはっきりしないんですよね。
 世間一般のイメージとして、オウムの頃の苫米地さんには「脱洗脳の専門家」っていうのがあると思うんですけど、僕としては従来の脱洗脳の専門家とはまったく違った印象を持っていました。
 それまでの脱洗脳家は「悪いものを排除して、元の正しい状態へ戻すためにやっている」というある種の正義感を感じさせるものでした。だけど、苫米地さんは正義感とかそういう次元の話じゃなく、人間の心理プロセスみたいなものを探求していく過程で、脱洗脳を行っているような印象を受けたんです。分かりやすく言えば、「カルトは悪いものだから、その悪い洗脳からこの人を引き出さなきゃいけない」という使命感をあまり感じないというか(笑)。むしろ、オウムで行われていた“人間を変えるためのシステム”から宗教の要素を抜き取って、純粋な洗脳プログラムとしたうえで、それを違った形で世の中に見せていた、とでも言いましょうか。社会的に良いことなのか悪いことなのかは分からないですけど、当時としては珍しいものを見せつけられた印象でした。新しいタイプの脱洗脳家というか、そういう存在として目の前に現れた感じがしましたね。苫米地さんと会って、「アッ、こういう人もいるんだ」と驚いたことを覚えています。
 ちょっとオウムの話をしますと、麻原彰晃の最初の本で『超能力「秘密の開発法」』というのがあって、内容としては超能力を得て超人になる、つまり超人脳を作るための本だと見ることができます。個人の能力を普通じゃないレベルまで高めよう、ということです。で、オウムというのは、一応は教団組織としてまとまっていましたが、実は組織としてはあまり機能していなかったんです。というのも、信者たちは麻原が開発したプログラムを個々人で実践して修行をしていたので、必ずしも教団という組織は必要ではなく、麻原が作ったシステムがあれば十分だったのです。そして麻原本人は、そのシステムが正しいことを保証するための存在としての「グル(尊師)」でした。オウムという教団は、実はこんな構造になっていたんです。
 そして、そんなオウムから教団(宗教)の要素を抜き取り、構造だけを生かすとどうなるか。その答えこそ、今の苫米地さんがワークスでやっていることだと私は思うんです。要するに、苫米地さんはオウムを取り込み、“消化”してしまったんです。オウムが持っていたある種の古さ、つまり「教団、あるいは組織をつくらなければならない」という概念を捨て去り、純粋なシステムだけを取り出して実践するということは彼はやっているんです。

※1 石川公一
東京大学在学中にオウム真理教に入信。省庁制が採用された後は「法皇官房」の実質的な責任者となる。麻原の側近中の側近であり、オウムの教義編纂の中心人物でもあった

※2 小杉ビデオの事件
苫米地が手掛けた、国松警視庁長官狙撃事件の実行犯とされた小杉敏行巡査長のカウンセリングビデオが流出、一部のテレビ局でオンエアされた一連の事件


オウムと深く関わることで
苫米地英人という人物ができあがっていると
僕は考えています。


 真面目にオウムに関わってきた人たちにとって、苫米地さんって完全に浮いた存在で、さらに言えばかなり嫌がられていたと思うんですよ。
 ちょっと語弊があるかもしれませんが、オウムの信者に限らず、宗教関係の人たちというのは、たとえ罪を犯して死刑になっちゃうような人でも、わりと「善い人」が多いんですよ。その宗教や教義、指導者を純粋に信じてしまうという意味で素直というか。村上春樹さんもたしか同じようなことを書いていると思います。そういう「善い人」たちからすると、苫米地さんって「悪い人」に見えると思うんです。苫米地さんってきっと善と悪を両方とも持っていて、しかも善悪の概念を超越しちゃっているので、正確に言うならば「どういう人なのか正体が知れない人」なんですが、でも少なくとも宗教に関わる人たちにとっての善からは外れているので「悪い人」と認識される。
 そんな「悪い人」は、普通だったら宗教なんかには関わってこないはずなんです。先ほどもお話ししたように、宗教に関わる人ってほとんどが善意の人ですから。だからこそ、苫米地さんがオウム問題に深く関わっていること自体、僕にとってはちょっと不思議な感じがしましたね。オウム問題ではいろいろな人にお会いしましたが、苫米地さんは明らかに異質な存在でした。
 彼の専門領域の幅広さについても興味があります。研究者って基本的に理科系か文科系かという区別をするじゃないですか。でも、苫米地さんの場合、その辺の区別が非常に曖昧な感じがしますよね。「脳機能学者」という肩書きは造語だそうですが、脳を問題にするのだから理科系かなと思う一方で、もともとは言語学だから文科系なのかなと。しかも、見た目も文科系なのか理科系なのかよく分からない(笑)。マッドサイエンティストみたいなところもあるし、ちょっとアカデミズムの人なのかと感じさせる部分もある。従来の枠に収まりきらない、完全に彼自身の学問世界をつくっている感じがします。

 改めて振り返ってみると、オウムが影響を与えた人の数も相当なものですが、実は苫米地さんが影響を与えた人の数の方が多くなりつつあるんですよ。
 たしかにオウムは教団という組織をつくり、多くの信者を集め、さらには地下鉄サリンなどさまざまな事件も起こしていますが、影響を与えた人数で考えてみると、今や苫米地さんの方がはるかに大きな影響力を社会全体に及ぼしている。先ほどもお話ししたように「今の苫米地さんの中にオウムが組み込まれてしまっている」、そんな印象を私は受けます。
 さらに言えば、「オウムと関わることによって今の苫米地英人という人物ができあがっている」という側面もあるんじゃないかと。で、その考え方を発展させれば、「苫米地さんが世の中に出て活躍するためにオウムがあった」みたいな解釈もできると思うんですよ。そう考えると、苫米地さんとオウムとの出会いもやはり必然性があったのではないかと思うんです。   (・・・・・・続きはClubTomabechiでお楽しみに!)

 

島田裕巳(しまだひろみ)
1953年、東京生まれ。東京大学人文科学研究科博士課程修了。
文筆家、宗教学者。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。
主な著書に、『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』(幻冬舎新書)、
『創価学会』(新潮新書)、『ぼくが宗教を読み解くための12のヒント』
(亜紀書房)、『10の悩みと向き合う』(大和書房)、『無宗教こそ日本人
の宗教である』(角川oneテーマ新書)『天理教』(八幡書店)など多数。